大雲好日日記-279 「アナキズムと禅仏教(前半)」

 実が成り始めたが、果たして、甘柿か渋柿か?

 

アナキズムと禅仏教(前半)(令和8年9月5日)

 

アナキズム=無政府主義、と聞くと何やら物騒な気がして、これまでそのことについてあまり考えてこなかった。

 

ところが津野海太郎という人の『生きるための読書』(新潮社)という本のなかに「隠れアナキスト 鶴見俊輔」という一章があり、まず鶴見俊輔とアナキズムとの意外な関係に驚かされた。

 

鶴見俊輔についてはプラグマティズムの哲学研究者、くらいの知識しか持ち合わせていなかったからである。

 

そこでアナキズムならびに鶴見俊輔について少し調べてみたのであるが、鶴見は少年時代はなかなかのインテリ不良少年であったようである。そのため行く末を案じた父にアメリカ留学を命じられ、日米開戦の最中、ハーバード大学でプラグマティズム哲学を専攻した異色の研究者である。

 

アナキズム(Anarchism)とは、本来、「国家・社会・宗教などすべての権力・権威を徹底的に否定することにより、人間の完全な自由を獲得しようとする思想」(『新編 西洋史辞典』)である。

 

しかし、この思想は一時期、社会革命的な思想と結びつき、急進的で行動的なアナキズムとして世界史上に登場したことがあった。バクーニンや幸徳秋水らがその代表である。

 

他方、鶴見のアナキズムとは、彼の言葉をかりれば「方法としてのアナキズム」である。それは行動的アナキズムと違って、自分たちの比較的みじかなところに見いだされる問題を、アナキズム本来の理念を方法として探究・解決しようとしていたようにみえる。

 

アナキズムに関しては、鶴見俊輔との関係のほかに、もうひとつ津野海太郎の上掲書から教えられたことがある。

 

それは21世紀の10年代に入る頃から、忘れかけられていた「アナキズム」という語が、さまざまなところに登場するようになったということである。

 

そしてその背後にどうもフランスの人類学者マルセル・モースの『贈与論』の影響があったらしいのである。

 

モースは貨幣時代以前の経済は「物々交換」ではなく「贈与」によっていたと主張する。アナキズムを信奉する最近の思想家たちはその点に目をつけて、アナキズムを現代の病める「貨幣と市場の社会」を改革する手がかりにしようとしているようである。

 

そこのところを禅の立場から見たらどうなるか、そのことを少し考えてみたいと思う。アナキズムの精神には禅に似たところもあるからである。

 

 

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