赤光破心霧(しゃっこう しんむ を やぶる)
赤光(令和8年7月11日)
斎藤茂吉の第一歌集の標題は『赤光』(「しゃっこう」)となっているのであるが、最近になってようやくその名が「阿弥陀経」から採られたものであることを知って、自分の迂闊さを恥じるとともに、その書に対してある種の親しみのようなものを感じるようになった。
茂吉によると、「阿弥陀経」の極楽を描写した箇所に「池中蓮華大如車輪・・・赤色赤光白色白光・・・(池の中の蓮華は大いに車輪の如し 赤色の蓮華は赤い光、白色の蓮華は白い光・・・)」とあるのであるが、幼いころ、遊び仲間の雛法師(こどもの僧)が何をする際にも「・・・しゃくしき、しゃっこう、びゃくしき、びゃっこう・・・」と誦していて、その声が大きくなってからも耳の底に聞こえていたようである。そういうことがあって『赤光』の名前が選ばれたというのである。
しかしそのことに関してはもう少し細かく見ておく必要があるようである。まず遊び仲間の雛法師に関してである。茂吉の生家は隣が宝泉寺という時宗(「阿弥陀経」を所依の経典とする)のお寺であり、この寺の檀家であった。ここにでてくる雛法師というのはその寺の息子であったに違いない。
このようなことを考えると茂吉と雛法師との関係は単なる「遊び仲間」というよりは、家ぐるみの非常に親しい間柄であったような気がする。そして、このような交わりを通しておさない茂吉の身体に仏教的色調が自然に染みこんでいったと想像されるのである。茂吉に聞こえていた「しゃっこう」の声はそういう背景ももっている。
茂吉の歌は部分的に当然そういう精神的風土にも影響されていた。『赤光』のなかに「地獄極楽図」と題された11首の歌が載せられている。それらも茂吉が幼いころに隣の寺の和尚から絵解きしながら聞かされた経験が下地となったものであろう。
『茂吉秀歌 『赤光』百首』の著者である塚本邦雄は、そうした茂吉の作風について、「月落ちてさ夜ほの暗く未だかも弥勒は出でず蟲鳴けるかも」の歌を例に、茂吉は「想を仏教的な世界に得ると、たちまち空気を得た鳥のやうに、自在でみづみづしい作品を見せてくれる」と評している。

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