大雲好日日記-272 「清沢満之に学ぶ」

清沢満之に学ぶ(令和8年4月25日)

 

思うところがあって清沢満之を読みなおしてみました。これを機会に満之の言葉をもう一度じっくり味わってみたいと思います。(清沢満之<1863~1903>は、明治期に活躍した真宗大谷派の僧侶、哲学者。その門下から曽我量人をはじめとして多くの優れた真宗学者が輩出しました)。

 

〇「吾人は先ず各自己の何者たるやをしらざるべからざるなり」

自分を何か偉い者だと思っているうちはダメである。古今東西、「偉い人」はいたことはいたが、それは相対的な意味でそう言えるだけであって、絶対的な意味でそうであったというわけでは決してない。われわれは自分を知れば知るほど、自らの愚かさに気づかされるのである。

 

〇「自己とは何ぞや。是れ人世の根本的問題なり」

われわれはどこから生れてきて、どこへ死んでゆくのか。普通はこの一大問題は見過ごされている。そして死の間際になってようやく死の一大事に気づく有様である。が、それでは間に合わないのではないか。

 

〇「生、何処よりか来り、死、何れの所にか去る。生ずべきの因縁ありて生じ、死すべきの因縁ありて死す」

何事も因縁(因と縁)によって生じ、因縁によって消滅する。その様子はまるで海中の泡のごとくである。自分の力で為し遂げたと思っていたことも、つぶさに検討してみると、それが気づかなかった因縁によっていたことが分かる。因縁の作用は重々無尽であり究めがたい。実はそういう不可思議の世界にわれわれは生きているのである。

 

〇「死の来るは天然なり、必然なり、自然なり」

生死は有限者の関知しない不可思議な因縁によって決まる。それは無限者のみ知るところの妙用である。そう考えれば、生も死も無限者の作用として天然自然と受けとめることができる。そうすれば、いかなる境遇においても、絶対無限の妙用に乗って、楽々とその生を楽しむことができるであろう。

 

〇「吾人の世に在るや、必ず一の完全なる立脚地なかるべからず」

われわれは有限な存在である。何事につけ自ずから限界がある。そこに不満・不安が生れ、われわれの生活が不安定になる。そのことを解消するためには、われわれが依って立つところのしっかりした土台(立脚地)がどうしても必要になる。有限で不安定なわれわれの生を絶対的に下支えしてくれる無限者が不可欠である。

 

〇「吾人は有限なり。有限なるが故に、常に差別を離るる能わず」

差別の意識はどこから生ずるのか。それはわれわれが有限な存在であるからである。知性というあらゆる意味で有限な機関がそうさせるのである。それゆえ悪しき差別の立場を離れるためには、無差別の世界に目覚める必要がある。それには無限者の存在を知る必要があるのである。

(岩波文庫『清沢満之集』より)

 

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