紫紺野牡丹(シコンノボタン)朝に咲いて夕方には散ってしまう「一日花」。花言葉は「ひたむきな愛情」(一日花が毎日休まず咲き続ける健気な様子から)
釈尊の教え/禅の教え」(2)(令和8年10月19日)
釈尊の『真理の言葉』(岩波文庫)277~279番に、つぎの詩句がでている。禅のテキストは『臨済録』を用いた。
277番:「一切の形成されたものは無常である(諸行無常)と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。」
『臨済録』では「無常」の語はあまりでてこないが、「死」あるいは「死」を暗示する意味でつかわれている。無常は永遠性のないことであるためである。用例:「この肉体は無常である(この肉体は死滅する)」。
278番:「一切の形成されたものは苦しみである(一切皆苦)と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。」
釈尊の教えでは「一切皆苦」であるのは「諸行無常」のためであるが、『臨済録』では、「(禅)定」から離れて分別(迷い)の世界に入ったときに、種々の苦しみを受けるとしている。
279番:「一切の事物は我ならざるものである(諸法非我)と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。」
注釈によれば、「諸法非我」はパーリ聖典にあらわれる古い思想であり、のちに「一切の事物は恒存する実体をもたない(諸法無我)」と解釈されるようになった。「諸法無我」の考えは『臨済録』では「一切は空である(諸法空相)」となる。
諸行無常・一切皆苦・諸法無我に涅槃寂静をくわえて、仏教の教理上の特徴を示すしるし、四つの法印(四法印)とよばれた。
282番:「実に心が統一されたならば、豊かな智慧が生じる。心が統一されないならば、豊かな智慧がほろびる。生ずることとほろびることとの二種の道を知って、豊かな智慧が生ずるように自己をととのえよ。」
前回、仏教における「(禅)定」の重要性について指摘しておいたが、そのことがこの282番の詩句にでている。
「心の統一」とは「(禅)定」のことである。

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