ひねもすのたりのたりかな(令和8年1月1日)

(馬・賀春)北野大雲筆
春の海 ひねもすのたりのたり哉
これが与謝蕪村の句であることはよく知られているでしょう。しかしこれが禅者の眼から見て、悟りの一句になることを知る人は少ないと思います。
上掲句は句としては、のんびりとした春の海の情景を詠ったものであることは言うまでもありません。しかしこれを禅の眼でもってみれば、「のたりのたり」とした春の海の様子は、同時に俳人蕪村の境地になるのです。
すなわちその心が「終日のたりのたり」とたゆとうているのです。自然の運動に任せきった、そのまま、ありのままの境涯なのです。禅の言葉に置きかえれば、任運騰騰(にんうんとうとう)、行雲流水、平常無事といったところです。
菜の花や月は東に日は西に
蕪村作として有名なこの俳句も禅の立場から解釈ができます。つまり「月は東に日は西に」は当たり前のことを言っているのであるが、事物をそのまま受けとってゆくのが禅である。
そうしますと「月は東に日は西に」はこのままで禅語になります。禅語で類した語を挙げますと、「柳は緑、花は紅」「眼は横、鼻は縦」があります。
以上の他に、『禅林世語集』にはさらにつぎの三句が収集されています。
・二(ふた)もとの梅に遅速を愛す哉
・不二(ふじ)ひとつうづみ残してわかばかな
・しぐるヽや我も古人の夜に似たる
これらに関する解説は少し難しくなるので割愛することにして、私がいいなぁと感じた蕪村の句を下にあげておきます。
・野ばかまの法師が旅や春のかぜ
・閣(かく)に座して遠き蛙をきく夜哉
・骨(こつ)拾ふ人にしたしき菫かな
・けふのみの春をあるひて仕舞けり
・さみだれや大河を前に家二軒
・行き行きてここに行き行く夏野かな
・学問は尻からぬけるほたる哉
・蝉鳴くや行者の過る午(うま)の刻
・廿日路(はつかじ)の背中にたつや雲の峰
・ところてん逆しまに銀河三千尺
・月天心貧しき町を通りけり
・鋸(のこぎり)の音貧しさよ夜半の冬
・西吹けば東にたまる落葉かな
・寒月や門なき寺の天高し
・等閑に香炷(た)く春のゆふべかな
・虹を吐(はい)てひらかんとする牡丹かな
・わくらばに取付て蝉のもぬけ哉
・錦する野にことこととかゞしかな(*「ことこと」=「暖かく睡るさま」)
・一人来て一人を問ふや秋のくれ
・洟(はな)たれて独碁(ひとりご)をうつ夜寒かな
・いざや寐ん元日は又翌(あす)の事
(以上『蕪村俳句集』岩波文庫)

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