大雲好日日記-184 浅井老師の「禅と浄土教」要約 禅と念仏(14)

浅井老師の「禅と浄土教」要約 禅と念仏(14)

(令和4年7月20日)

 

テッセン(長岡禅塾)

 

私の知るかぎり浅井義宣老師が提唱などで、

浄土教について詳論されたことはなかった。

 

そんななかでも私の印象に残っているのは、

たまに歎異抄の「地獄ぞ一定すみかぞかし」という言葉を、

それをどういう文脈で使用されたのかはもう忘れたが、

何度か口にされたことである。

 

浅井老師が浄土教に関心をもたれるようになったのには、

森本省念老師の影響が大きかったように思う。

 

禅塾の往時の日単(記録)を繰ってみると、

森本老師が浅井老師と祖渓さんをともなって、

蜂屋賢喜代師による講話の聴聞に出かけられた記事が見られる。

 

また森本老師は公案を自由に使っていかれたから、

ある公案に対しては塾生たちに「浄土教ではどうか」といった具合に、

室内でも禅を浄土教の方へ伸ばしていかれたこともあったようだ。

 

そういったことがやがて浅井老師において、

単に話の上のことにおわらず、

事実上の問題として経験されるようになったのであろう。

あるところで次のような話をされている。

 

禅の修行を真剣に志すものはだれでも、

空を体得してカラッした境涯を手にいれたいと思うであろう。

しかし修行をしてゆくうちに、決してそういうふうにはなれそうにない、

ということが自覚されてくる。

 

そこでどういうことになるかと言えば、

禅では「更に参ぜよ三十年」ということになって

一生修行ということのうちに落ちついてくる。(『対話禅』)

 

しかし、親鸞は別の道を選択した。

親鸞は「いづれの行もおよびがたき身なれば」と言っている。

親鸞は法然に出合う前に比叡山で十年余りの仏行を経験していた。

「いづれの行もおよびがたき」というのはその結果の赤裸々な告白である。

そのとき親鸞は断然、法然の念仏にくだったのである。

 

こうして見てくると、

禅には禅の道があるけれども、

禅の道を本当に歩みつづけている人には、

体験的に浄土教に対する見方が変わってくる。

つまり浄土教が疎遠なものでなくなってくるのである。

 

浅井老師に「禅と浄土教」(『無相の風光』)と題した文章が残されているが、

そういうものを書き残された背景に、

上に述べたような事情が隠されていると思うのである。

 

老師の「禅と浄土教」は詳細に書かれているので、

ここでも「禅と念仏」の関係というところに焦点を合わせて、

その大要を以下にまとめておくことにしたい。

 

Ⅰ 仏教は三昧に成って自己が無相(空)となったところから出発する。

従って禅と浄土教はもとは一つであるのだが、そこに区別が生じているのは教学上のことにすぎない。

 

Ⅱ 禅と浄土教の教学上の区別について。

①おおまかに両者の教学上の特性をあげると、禅にはこれといって依るべき経典がなく、不立文字を標榜する。浄土教では、三部経(『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』)を依りどころとする。

②浄土教では阿弥陀仏をたて、その本願によって一切衆生が済度されるというが、教学上、一切皆空を標榜する禅は仏をたてない。しかし、無相(空)の世界では無分別が分別となって働くように、空が物となって働く。空が物となって働くとは、空が事々物々に顕現することである。禅ではそれを仏と呼ぶのである。その仏は空の顕現であるからキリスト教で考えているような有相の神と同種ではない。

③それゆえ、禅では、教学の建前上、仏をたてないといったが、そうではないことがわかる。それで、禅では仏をたてないが、浄土教では、阿弥陀さんをたてるなどと、教学の一面だけを主張するのは誤りである。教学はその宗派の教義を研究する(分別する)学問であるので、その特性を教学として強調することはやむを得ない。実は、両者の相異も、無分別の分別の立場から見れば、単なる相違ではなく、相異するほど同じなのである。

 

Ⅲ 仏道を修する仕方の違いについて。

①仏道を修するのに、大別して、二つのタイプがある。自分の力で泳ぐ者と、他の力(浮袋)をかりて泳ぐものとの、二つがあるように、仏道を修して、自ら此の世で、悟りを開くものと(釈迦のように)、阿弥陀仏の力をかりて、浄土に往生して、証果を得んとするものとである。前者の修行を自力聖道門といい、後者を、他力浄土門と呼んでいる。禅は前者に、浄土教は後者に属する。

②両者の決定的な違いは、聖道門では、此の世で成仏できるという即身成仏の立場をとっているのに対して、浄土門は、凡夫は、永遠に凡夫であって、此の世では成仏できなと主張する。禅では、己身の弥陀、唯心の浄土といい、浄土門では、阿弥陀さんはここより十万憶の仏土を隔てる、西方極楽浄土におわし、極楽浄土は此土ではないと主張される。

③では、なぜ、同一仏教内で、二つの異なれる教学が主張されるのか。その理由は、衆生の根機にあるのであって、仏教そのものにあるわけではない。つまり、三昧に成った無相(空相)の当体に二つあるのではなく、その三昧の当体を、衆生の根機に従って、どう説くかに、大別して、二種の方便があるのである。

 

Ⅳ 阿弥陀は無相(空)の異名である。

①阿弥陀の「阿」は、サンスクリットでは「非」の意味であり、「弥陀」はメートルで、物を測る尺度である、つまり、分別である。従って、阿弥陀の意味は、分別の否定であり、これを、認識に即せば、無分別、存在に即していえば、無相(空)ということである。

②浄土教では、自ら修行して無相の体験を得られない者のために、それを宗教的人格的に仏として、形にあらわしたのである。しかし、その仏の当体は無相なのである。だから、仏をたてるといっても、有相の宗教のような、世界の超越的なところに在って、世界を支配する絶対者ではない。阿弥陀は有相の世界のどこにも存在しないのである。分別の対象となる此の世(穢土)ではなく、無相の世界(浄土教では、これを、ここより十万憶の仏土を隔てる西方極楽浄土として表象されている)に、おわすのである。それゆえ、浄土は分別する者のためにはあらわれないのである。弥陀の本願を信ずる者のためにのみあらわれるのである。

 

Ⅴ 即身成仏と阿弥陀仏。

①禅では、教学の上で、即身成仏ということをいうが、成仏したから、それでよいというのではない。より徹底的に空になろうとするならば、「更に参ぜよ、三十年」という言葉があるように、どこまでいっても、肉体がある限り、徹底的な成仏などできないのである。実は、禅では、釈迦も達磨も修行中、という。一方で即身成仏を標榜し、一方で、なお修行中という。禅の語録、『臨済録』の序文に、「唯、一喝を余(のこ)して、なお商量せんことを要す」とある。成仏しても成仏しても成仏できないのである。

②逆に、浄土教では、その教学の特質から、凡夫はどこまでいっても成仏できない、と主張し、阿弥陀は凡夫に対して、他者的な存在のように説いている。しかし、阿弥陀は有相の宗教でいう、絶対者のような他者的存在ではないから、キリスト教の神と阿弥陀は他者的存在であっても、その内容は本質的に違うのでる。

③阿弥陀は、前述したように、空の異名である。空には本来、自と他の区別はない。教学の建前上、一応、方便として他者的存在のようにしているが、実はそうではない。弥陀の本願によって、凡夫のままで救われ、阿弥陀さんに抱えられて、そこから逃れることができないという、摂取不捨の利益(りやく)をこうむるというのは、禅的に表現すれば、成仏と同じことなのである。ただ、成仏するという表現をとらず、阿弥陀に救われる、というのである。

④つまり、禅における即身成仏は、徹底すればするほど、成仏できないと成仏し、逆に、浄土教では、凡夫であればあるほど、阿弥陀さんがつかんで離さない、ということである。禅と浄土教は、主張する教学の一面だけをみると、一見相反する教えのようであるが、どちらも無相空相の教えに立つ限り、算盤の四つ珠と五つ珠の差はあっても、その位取りが違うだけで、結果は同じであるように、違って違わず、違わずして違う、という働きをするのである。

 

Ⅵ 法然の念仏と親鸞の念仏。

①我々が浄土往生を願うとき、まず浄土往生を思いたつことがなければならない。このように、自らの力で、浄土へ向かう動作を、仏教教学で始覚の法門とよび、浄土教では、自力の念仏というのである。特に、法然の浄土宗では称名念仏を通して、三昧発得(ざんまいほっとく)を得ることを強調する。浄土に行くことを信じて、自ら努力して、称名念仏の三昧の行を通さずには、浄土往生はできないのである。

*三昧発得:三昧の状態において、正しい智慧の悟りを得ること。

②この信ずるは、浄土教の教学でいえば、弥陀の本願を信ずる、ということである。従って、信ずるとは、凡夫のはからいを捨て、弥陀に身を任せるのであるから、三昧ということになる。そして、浄土に往生して、振り返ってみると、往生できたのは、はじめから往生が約束されていたからであったのであり、それは自力の力ではない、と理解ができるようになる。このことを本覚の法門と呼び、他力の念仏と呼ぶ。

③しかし、他力の念仏は、自力の念仏なくしては、あり得ない。禅にせよ、浄土教にせよ、それが仏教という無相の宗教の立場に立つ限り、三昧の行をさけて通ることは できないのである。浄土教では、三昧に入ることのできない人のために、易行道として「弥陀の本願を信ぜよ」と説くが、この「信ぜよ」ということが、自己のはからいを全脱し、弥陀に全託する三昧の行なのである。従って、浄土教は易行道で、禅は難行道などというのも、教学上の建前で、実際は、仏道を修するということは、難行道なのである。

④では、浄土宗と浄土真宗の他力の念仏は、どう違うのであろうか。浄土往生できたのは、自力で着いたと思っていたら、他力であったというのが、浄土宗の他力の念仏であった。しかし、浄土真宗では、さらに一歩を進めて、浄土往生を思いたった、そのときに、すでに往生が成就していたのだとするのである。従って浄土真宗の念仏は、念仏を申して助かるのではなく、念仏を申す前に、すでに助かっていたのだと感謝する念仏なのである。つまり、思いたったのは、自己が思いたったようであるが、そうではなく、弥陀の本願が、思いつかせたのである。それが、弥陀の本願の不思議な働きなのである。

⑤その証拠は、親鸞の『歎異抄』の冒頭に、「弥陀の誓願不思議にたすけられまひらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏をまふさんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益(りやく)にあづけしめたまふなり」とあるからである。親鸞の著『教行信証』の「信」の巻の結集が『歎異抄』の冒頭に示されたのである。ここに、親鸞の鋭い宗旨がある。「念仏まうさんとおもひたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり」は、凡夫の願いが、弥陀の本願によって、即座返しにかなうことである。

⑥これを知的にいえば、疑問がおこったとき、そのおこっているそのことが答えである。問いがそのまま答えである。例として、法眼と僧の問答を挙げることができる。「如何るか、是れ曹源の一滴水」。「是れ曹源の一滴水」。問は答処(たっしょ)にあり、答(とう)は問処(もんじょ)にあり、である。

⑦それを情意的にいえば、悩んでいるそのことが、弥陀に助けられている、安心の証(あかし)となるのである。悩みがなくなって安心するのではない。従って、「とても、地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし」という親鸞の言葉は、この世を歎いているのではなく、弥陀に助けられている証としての感謝の言葉なのである。

⑧白隠禅師は、地獄こそ菩薩のすみかである、として、「南無地獄大菩薩」といっている。また、雲門和尚の「日日是好日」の語に対し、白隠は、「雨は降る、薪はぬれて火は燃えず、痩子の泣くに、瘡(かさ)の痒(かゆ)さよ」と、いっている。地獄のほかに極楽があるのではない、地獄こそ極楽なのである。

⑨この無相(空)の立場から、弥陀は五劫の間、思惟して、一切衆生を済度しようと、四十八願をたてられた、と言えば、そんな話は聞きあきた、世界の人々はちっとも救われていないではないか、といわれるであろう。それは、世界を分別の対象として見ているからである。本願の力を信ずるならば、救われていないと思われる、その姿こそ、すでに救われている感謝の証なのだ、と知るのである。弥陀の願力のまえには、分別界のどのような善も、どのような惡も、どのような対立も、どのような矛盾も、力がない。いや、原子爆弾でさえ、これを破壊することはできないのである。巷間で行われている、宗教者の平和運動や、宗教サミットなどという催しさえ、そこからは真の平和は生まれないのである。それどころか、本願を信ずる立場からは、そのような運動や催しでさえ、ナンセンスな運動でしかあり得ないのである。

 

Ⅶ 三種の念仏の特質。

①念仏にも雲棲袾宏(うんせい・しゅこう、1535-1615、中国明代)のいう陀羅尼念仏もあれば、法然や親鸞の念仏もあって一様でない。では、三つの念仏はどのように違うのか。(1)雲棲袾宏の念仏は自力の念仏であり、凡夫が弥陀の救いを求めて念ずる念仏。一般にこの念仏行者が多い。(2)法然の念仏は他力の念仏であり、凡夫の念仏が弥陀の愛(慈悲)の声だと自得する。(3)親鸞の念仏も他力の念仏であるが、衆生の念仏はすでに弥陀の愛を漫喫した感謝の声になる。

②(1)の念仏は、単に極楽浄土を願う念仏で、あたかも陀羅尼を唱えて安心を得ようとする念呪とおなじである。このような念仏は、有相から無相へと指向する念仏であって、法然・親鸞の念仏とは次元を異にする。従って、禅としても徹底しない。中国明代の禅が唐宋時代の全盛期と比べれば、その力を失っていることは明らかである。禅が衰えたのではなく、禅僧の力が衰えたのである。念仏と禅の双修などというのが、それを語っている。それは、禅も念仏も徹底しないからである。

③袾宏より五十八年後に出生した、日本黄檗宗の開祖隠元は、明代を代表する禅僧で、彼の来日した頃、妙心寺の僧の多くが彼のもとに走ったことは有名である。しかし、にもかかわらず、彼の来日を九州で出迎え、一瞥した盤珪禅師は、「不生の人に非ず」と問題にしなかった。このことが、明代の禅僧を計る尺度となろう。

④(2)の念仏について、禅では、道元の、「仏道をならうといふは、自己をならうなり、自己をならうといふは、自己を忘るるなり、自己を忘るるといふは、万法に証せらるるなり」と趣きを同じくする。道元の曹洞禅が浄土教の色彩を持つといわれる所以である。仏教学でいう、本覚の立場を強調するからである。しかし、道元も本覚の立場に固執しているわけではない。風が本来あっても(本覚)、扇であおがなければ(始覚)、風のあることはわからない。始覚があって、本覚がわかるのである。法然の三昧発得があって、他力の念仏がわかるのである(Ⅵ-①、②参照)。

⑤(3)は、親鸞の立場であるが、禅では法眼の問答がそれに対応していることは、すでに説明した(Ⅵ-⑥、⑦参照)。

*論文『禅と浄土教』では、さらに禅と浄土教における戒律の問題などに言及されている割愛する。

以上、浅井老師の「禅と浄土教」をまとめてみた。

 

 

 

 

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