大雲好日日記ー89 「花の世の 花のやうなる 人ばかり」

花の世の 花のやうなる 人ばかり(令和2年4月29日)

 

中川宗淵老師

 

浅井老師が遷化されて暫く経ってから、

いつも老師が使っておられた机のまわりを整理していると、

その中に中川宗淵老師の句集が

数冊まとめて置かれているのを発見した。

 

浅井老師は、正眼寺を暫暇した後、

1952(昭和27)年に龍澤寺に掛搭されているが、

その時の師家がちょうど中川宗淵老師である。

だから、そのころ両人は師家と学者(修行僧)として相交わったことになる。

 

そういうことを通してか、

二人はお互いに相通じるものを感じとっておられたようだ。

両人とも詩人肌であるところが共通する

 

〇酒樽の ひとりころがる うらゝかな(宗淵)

〇空っぽの 月が踊るよ ぽんぽこぽ(大雅)

*「大雅」は浅井老師の道号。

 

浅井老師は提唱の折り、

ときどき中川老師の次の句を私たちに示された。

 

〇涼しさや 指一本を 天の川

 

昔、中国は唐の時代に、

一切事を指一本で収めたという禅僧がいた(『無門関』第3則)。

この句はその話を踏まえている。

 

そこには、一本指(実は作者自身)に、

涼しく吹く風や満天の銀河を収めて、

それらと一体化している様子が詠われている。

 

〇花の世の 花のやうなる 人ばかり(宗淵)

 

一面、満開の桜、

そこに集う人も皆々、桜となって咲いている。

(今は長岡天満宮の霧島つつじが満開です)。

 

長岡天満宮の霧島つつじ

 

「花の世の」のこの句は宗淵老師お気に入りの一句のようだ。

作は1946年4月8日。

終戦の翌年、「灌仏会」の当日であった。

 

*中川宗淵老師(1907-1984):東京大学文学部国文科を卒業。

山本玄峰老師の法嗣。1951(昭和26)年に龍澤寺僧堂師家。

句作は飯田蛇笏を師とする。句集に『詩龕』等がある

最近の投稿

大雲好日日記

カテゴリ一覧

コメント

“大雲好日日記ー89 「花の世の 花のやうなる 人ばかり」” への2件のフィードバック

  1. 藤本昭雄

    中川宋淵老師のお若き頃の画像をクリックしたら長岡禅塾の大雲御老師のブログに出逢いました。
    そこで「花の世の」宋淵老師の句が私の生年作だと知りました。昭和45年「花」の勅題のみ心を拝すとした年賀状にこの句が載ってましたので、その頃の作とばかり思ってました。まさしく宋淵老師お気に入りの一句だったんですね! 学生時代に一夏過ごした龍澤寺が眼に浮かびます。懐かしさの余り、ついコメントしました。 有難うございました。

  2. 北野大雲

    藤本様 コメント有難うございました。その後、宗淵老師と浅井老師の親交ぶりを示す資料も幾点か出てきましたので、お二人の親しい間柄についていっそう確信がもてるようになりました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です