哲学から禅修行へ(令和8年3月28日)
森本省念老師は禅に興味をもったわけについて、40歳ころに書かれたと思われる遺稿中で、つぎのようなことを述べています。
「ベルクソンの『物質と記憶』はよく詳しく書いてあるが、哲学書であるから少しも心の糧とならず、慰めとならず物足りない。却って聖書の一節などや荘子などで心が沈静する。説き得たることは得たれども、なお最後の一句が足りぬ。却って天理教の話などに小生は多くの傾きをもっているくらいだ。
「これはベルクソンが未熟なのではなくて、学としての性質――西洋風の哲学としての、論理的ではあるが修養に迂なる――性質に基づくものと、その時も思ったのでした。」
「小生としては坐禅三昧の上に何かの光明が現ずるものと思い、カントなどにて満たされざる何ものかが、禅で満たさるるであろうと思っていたのです。これは今から考えても誤りでないところであった。」
(中略)
「当時、小生の心を静めてくれたものはやはり、訳はわからぬながら、禅と老子とであった。ちょうど荘子を読める時にもただ一つわからぬ事があった。それがどうも老子とも禅とも関係するように思えるし、西洋哲学の話にも出てくるようにも思ったので、小生としては何れかに突進するとして、まず根本の根本という考えで禅に興味をもった。」
これによれば、森本老師は大学で哲学を学んだのであったが、哲学では「少しも心の糧とならず、慰めとならず物足りない」、「心が沈静」」しない。そういう満たされざる心を満たしてくれるであろうと思って、禅に関心をもったということが書かれている。
臨済宗の開山臨済義玄もそうであったが、多くの禅僧が最初は仏教学を勉強した学僧であった。けれども学問は彼らの心を満たすことができなかった。
「こういう学問はみな世間の人びとを救う処方箋でしかない」と、臨済は言っている。
またわが国浄土教の教祖法然も30年間の長きにわたって、比叡山で学僧の生活をおくったが救われず、ついに念仏の行に出会い、安心を得ることができるようになったのである。
これらを見ると、われわれが究極的に落ち着ける道というのは、どうも学ではなくして行であるようだ。

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