大雲好日日記-268 「骸骨」

骸骨(2026年2月28日)

 

朝日歌壇(2・15)を見ていて、つぎの歌が目にとまった。

 

何万の無言抜けゆくゆうぐれに 改札口という孤島あり(岩元秀人)

 

なぜこの歌が目にとまったかというと、この歌を見て英国の詩人T・S・エリオットの「荒地」のつぎの一節を思い出したからである。

 

非有の都市(みやこ)

冬の夜明けの褐色の霧の下を

ひとの群がロンドン橋の上を流れて行った 夥しい人の数だ

こんなに夥しい人数を死が亡したとは夢にも知らなかった

(深瀬基寛・訳)

 

朝日歌壇の歌では改札口を抜け行く孤独の群衆が、エリオットの歌では死の相のもとに、ロンドン橋を渡ってゆく群衆が歌われている。

 

人間の実相を洞察する深さにおいてエリオットが格段上であることは争われないが、歌われている情景は類似している。わたしの連想はそのために生じたもののようだ。

 

そうこうしているうちに、つぎに「一休骸骨」の話が思いだされ、さらにまた蓮如上人の「白骨の御文(章)」へと連想が転じていった。

 

「一休骸骨」というのは、一休禅師の作(?)とされる法話で、そこには人間のように振る舞う(踊ったり、酒を飲んだり)する骸骨――その様はちょうどレントゲン撮影された人間の姿のようである――が、滑稽に描かれていて、仏教の生死一如が示されている。

 

蓮如の「白骨の御文(章)」は、

 

我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、・・・

されば朝は紅顔ありて、夕には白骨となる身なり、・・・

 

と、人生の無常を説いて弥陀の信仰へと人々を誘う。この御文(章)は浄土真宗の葬儀において読まれている。

 

25日の日曜日の朝のわたしの妄想は最後に、明治の傑僧原坦山がある葬儀の際に発したといわれる

「お前らも死ぬぞ」

という一喝で、ようやくその糸がきれた次第である。

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