新著『禅と念仏』読後の感想文集(令和8年1月31日)
拙著『禅と念仏――昭和の名僧 森本省念の禅』に対して寄せられた感想文のうちから、その一部を抜粋して紹介いたします。
〇久し振りに、楽しい読書でした。孝慈室のように、大阪弁で書きたいのですが、本日標準語にします。
何よりも、宗派などにこだわらない、大きさを讃嘆します。しかもそれが、人間味あふれた、試行錯誤に裏打ちされたものであることが、貴重だと思います。悩める人かな!
花園大学で『正法眼蔵』をテキストに用いたことは、私も初めて知りましたが、なかなかできないことだと思います。第十七願の問題は、かなり理解が深まってきているようです。ほぼ孝慈室の考えと同様な理解が、一般的になってきています。
お互い、もう長くも生きないと思いますが、こんなご縁をいただいたこと、本当に有難く思います。 (宗教学者のY氏)
〇ゆったりとした自然なペースで拝読しました。学ばせていただいたとともに、澄んだ心持ちになりました。 (宗教哲学者のK氏)
〇外は寒いのですが、陽の当たるポカポカする2階で読ませていただきました。孝慈室のお母さまが「仏教というものは、結局、これというものがあったらあかんのやな」と言われたというのは凄いと思いました。言われたお母さまも凄いけれど、全集を毎日読み聞かせた孝慈室も凄い。お念仏は自然に人を包み込んでくれるのですね。
実は年末に昔買った妙好人の因幡の源左さんの漫画を読み直し、浄土真宗ってすばらしいなぁと思い直していたところで、「禅と念仏」を読みさらに浄土真宗ってすばらしいなと感じています。(元聴講生のK氏、信州在住)
〇省念老師のお母様へのお心遣いから思いを至された念仏への考えをまとめられておられますが、これは老大師のお心の顕われの面もあると察し上げました。また、それは私の心の在り所とも触れ合うところもございまして、何かご理解を頂いたような気にもなりました。これからも折に触れて読み、そして内省するための手引とさせていただきます。(真宗僧侶のM氏)
〇日記なども発掘して引用され、老師の姿を生き生きと写し出されているとおもいました。偉大な方でもちろん近づくこともできませんが、一面、実家が書肆だったことや、学生時代に古本屋で禅の本を漁ったこと、性欲に悩まされたことなど、少し身近にも感じられました。
他の宗教も自由に受け入れ、とくに念仏も強調されたこと、型破りの名僧だったのですね。西田幾多郎の弟子だったこと、哲学を専攻されたことは貴兄とも共通していますね。
装幀も中身にふさわしく、オビをあけると金箔のタイトルが現れ引きつけられました。年譜、索引なども丁寧な本造りだと感嘆しました。(編集者・古書研究家のT氏)
〇 森本省念老師の念仏観を、雲棲袾宏の念仏禅と対照させて論じている点が、特に印象に残りました。・・・その違いが、「第四章 森本省念と浄土教」では明確に示されていると受け取りました。老師が重視したのは、念仏の実践そのものではありません。自己の有限性を徹底して自覚したその帰結として、浄土教の意味を実存的に理解することにこそ、本質があると考えていたのではないかと思われます。本書は、禅と念仏の関係を考えるうえで、きわめて重要な参考点となる一冊です。(黄檗宗僧侶のN氏)
〇本書を通じて、知る人ぞ知る禅僧・森本省念師の禅にふれることができましたことは、たいへん興味深いことでございました。京都哲学、禅、真宗が大正から昭和にかけて、このような人脈のなかで交点を結んでいたと言うこと、とても勉強になりました。
どうしてもセクト主義な仏教界、そして手前味噌に「他力」を専売特許化した言説になりがちな真宗ですが、禅をつきつめていけば、そこには全力の他力の世界が拡がるのだ、ということを知らしめる名著かと存じます。
禅に関心がある人はもちろん、真宗の方にも、これほど豊かにひろがる浄土教の世界をぜひとも味わっていただきたく存じました。(法藏館のT氏)
*掲載させていただいた皆さん、有難うございました。
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