わが古里(令和7年11月22日)
前回は谷川俊太郎さんの言葉をきっかけにして話をはじめましたので、今回も谷川さんの言葉を糸口にして文章を綴ってみたいと思います。
谷川さんは2024年11月に逝去されましたが、今年(2025年)7月に詩集『行先は未定です』(朝日新聞出版)が出版されました。しかし、私の注意を引いたこのタイトルはどうも谷川さん自身の言葉ではなく、谷川さんのつぎの詩などを参考にした、編集者の考案によるもののようです。
「そこへゆこうとして ことばはつまずき ことばをおいこそうとして たましいはあえぎ けれどそのたましいのさきに かすかなともしびのようなものがみえる そこへゆこうとして ゆめはばくはつし ゆめをつらぬこうとして くらやみはかがやき けれどそのくらやみのさきに まだおおきなあなのようなものがみえる」(「選ばれた場所」)
さきほど「私の注意を引いた」といいましたが、そのわけは「行先は未定です」の「行先」はともかくとして、あまのじゃくな私は、では「来し方」はどうか、そんなことを尋ねてみたくなったからです。
「来し方」を問う「どこから来たか(什麼處來)」は、禅問答の最初に発せられる常套句の一つになっています。
この問は根本的には、生まれる前の消息、すなわち未生以前を問いただしているのです。そして、そのようにして客人の禅者としての力量を見ようとしているのです。
さて、「来し方」と同じく「行き先」もまた、禅の世界では大問題となります。昔、*兜率従悦(とそつ じゅうえつ)和尚が、「死んで何処に行くのか(四大分離向甚處去)」という難問を設けて、修行僧を苦しめた話は有名です。
*兜率従悦(とそつ じゅうえつ)和尚(1044-1091)北宋時代の臨済宗黄龍派の高僧で、禅宗史において重要な人物
禅の第一義から言いますと、元来、われわれは「生まれたり死んだりしない(無生死)」のですから、その観点から言えば、「来し方」「行先」を尋ねるのはナンセンスだということになります。
それはそうなんですが、第二義に下って言葉を弄することになりますと、仏教徒としては「来し方」も「行先」も仏の国だと言わざるをえません。(仏国土とは無の世界を具象化した表象です)。
そしてそこが私の「来し方」「行先」である本当の古里なのです。そのことが今や私にはっきりとしてきました。ですので、私の場合、「行先は(未定ではなく)確定しています」。私はそこで父母、親戚、知人たちに会うことができるのです。
我死なば 故郷の山に埋(うづも)れて 昔語りし 友を夢みむ (西田幾多郎)

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