大雲好日日記-253 「法なきところに住するべからず」

法なきところに住するべからず(令和7年9月4日)

 

仏教とは文字通り、「仏陀(お釈迦さん)の教え」を意味する。

 

その教えの中心は、人類のための真(まこと)の道、すなわち「法(ダルマ)」である。釈尊は「法はわが師なり」とお説きになった。

 

ある夏の夕暮れ、先師浅井義宣老師が提唱のときに言われた。

「法なきところに住するべからず」、と。

われわれ禅の修行者は禅僧であろうと居士であろうと、仏教徒であるかぎり、仏法を求め、仏法に準じた生活に努めるべきである。

 

しかし、実際にはどうか。昔、黄檗希運禅師が「この広い唐の国に真の禅師が一人もいないことをお前たちは知っておるのか」と言われた。黄檗禅師の言われたことが、現在でも通用してしまいそうであることは残念である。

 

これも昔の中国の話である。越格(おっかく、格外の意)の禅僧として知られている趙州は、行脚の折、立ち寄った寺に着くやいなや、「(この寺に法は)有るかどうか」を問い、その答えが法にかなっていないと見てとるや、さっさとそこを立ち去ってしまわれた。

 

禅の修行者として、われわれにも、そうした矜持と気概がほしいものである。

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