大雲好日日記-191 「宗教と生活」

宗教と生活(令和4年9月28日)

 

彼岸花(長岡禅塾)

 

愚直にも猫の額に彼岸花(白戸和夫)

 

禅堂の庭の片隅にも彼岸花が咲いた。

秋分の頃になると決まって紅葉の大樹の根もとに花を咲かせ、

秋の到来を告げてくれる。「愚直にも」という言葉がぴったりだ。

 

さて前回の日記で柳宗悦の評論「寂の美」中の文章を取りあげたので、

今回も同じ柳の文章から「宗教と生活」と題された評論の一節を選んで

紹介してみたい。

 

宗教上の根本問題は我とは何かということに帰ります。

そうして「我」というからには

我に非(あらざ)る他人に対立するものであるのは自明であります」。

つまり自他の二に分れ、その二が相対し、

これが抗争の形を常に取るに至ります。

何故なら「我」を立てることは「他」を排すること、

嫌うことを必然的に招くからであります。

妬みも罵りも忿(いか)りも、

凡て自他の二の間に行われる争闘であります。

争闘は不安をかもし不幸を来します。

そうしてそれは凡て自己への執着が、原因であります

 

それで宗教的生活とは、

如何にして自己への執着から離れることが出来るか、

その修行であるともいえましょう

 

仏教では始めから、自他の区別の如きは妄想に過ぎず、

空なるものだと説くのであります

 

吾々が躓(つま)ずくのは、

凡てを自他の二に分けて見るからによります。

こういう分別は、元来はその存在を持たないもので、

人間の勝手な作為によると分れば、

何か心に明るくなるものがありましょう。

元来自他不二であったということが分れば、

もう自にあって自に囚われずに終ります。

こういう生活をこそ宗教的生活と呼ぶのであります

 

*「宗教と生活」は『柳宗悦 妙好人論集』(岩波文庫)に収められている。

引用した個所は181~182頁、および184頁です。

 

最近の投稿

大雲好日日記

カテゴリ一覧

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です